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岡山大学でドイツ地域を中心に西洋史(中世史)を研究している大貫俊夫のブログ。

ファジアーノ岡山2016シーズン終幕にあたり1

スポーツ系の話題が続いて申し訳ありません。

先日のプレーオフ決勝で敗れ、ファジアーノ岡山の今シーズンは幕を下ろしました。

今シーズンはホームゲームは1試合を除いて全て、アウェイは山形、松本、C大阪戦に行くことができました。アウェイはもう少し行きたかったのですが、仕事などの都合で断念しました。山形と松本はいずれも岡山からの交通の便がいいとは言えませんが、温泉宿に泊まり、観光を兼ねてとても楽しめました。

よく、サッカーはもともと好きなのかと聞かれます。ドイツに留学していたと言うと、ではその時も観戦していたのでしょう、と指摘されます。しかし、今から考えるともったいなかったのですが、そんなことは全くありませんでした。なぜサッカーにろくに興味のなかった自分がここまで岡山の、よりによってJ2のチームを追いかけているのか、と不思議がられる方もいるようです。

つまるところ、僕は勝ち負けがはっきりする勝負事が好きなのですね。幼稚園の頃は碁会所に通って年配の方と囲碁を打っていましたし、学校ではわかりやすい尺度で競争を強いられます。留学してからは将棋にどっぷりのめり込み、将棋倶楽部24でR1100くらいまでにはなり、今は名門岡大将棋部の顧問をやらせてもらっています。

サッカーもそういうところがあって、もう試合か終わるなと思っていても状況は常に流動的で、良くも悪くも勝ち負けが容易にひっくり返るカタルシスはなかなか味わえません。野球もサヨナラホームランでひっくり返るスポーツですが、一息入れる余裕が頻繁にあるので少し違います。サッカーの方が集中を余儀なくされるので見ていてずっと緊張しっぱなしです。それがまたいい。

そう、勝負事は緊張します。そしてその緊張感はイマココデナイ感に繋がり、十全たる現実逃避が可能になります。緊張感アディクション。ちなみに、前エントリーのランニングも僕にとって現実逃避の手段ですが、あれは肉体を酷使することで脳は回転を限りなく止め弛緩に至るので、サッカー観戦とは逆のベクトルかもしれません。中世ヨーロッパの鞭打ち苦行団は宗教運動としてとても合理的なのだと身をもって感じます。

サッカーは現実逃避の格好の手段ですが、テレビで見ているだけでは不十分です。やはりスタジアムに実際に足を踏み入れるのは違いますね。一旦スタジアムに入ると、非日常の閉鎖空間が広がります。そして、眼前で繰り広げられる非日常的なスペクタクルに集中するだけで、それまで雑事・無理難題に向かっていた気持ちがキャンセルされます(雑事そのものが消え去るわけではない)。先日職場のストレス・チェックの結果が出ましたが、おかげで問題は全くありませんでした。幸せに生活できています。

サッカー観戦をする自分を振り返るエントリーはここまで。サッカーネタはしばらく続きます。次は岡山という地域との関係で少し書きます。