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notatione digna?

岡山大学でドイツ地域を中心に西洋史(中世史)を研究している大貫俊夫のブログ。

ハイスターバッハ訪問

シトー会修道院訪問の2ヶ所目は、ボンの近郊、ライン右岸にあるハイスターバッハです。ここは先の記事に書いたヒメロートから修道士が来て創建され、その中にいたカエサリウスが『奇跡の対話』等数多くの著作を残したことからよく知られています。下の絵は聖ベネディクトにひざまずくカエサリウス。

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その日、午前中にコブレンツの州立文書館で史料集めをしていて、作業はお昼頃に終了。これなら行けると思い、調べておいた電車で北上しました。そのローカル電車はライン右岸に沿って走るのですが、ほとんど聞いたことのない駅名ばかり。コブレンツから1時間弱でNiederdollendorfという所に到着しました。

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そして、ここからさらにバスで15分程山道を登ります。Klosterという名のバス停の前に、ハイスターバッハがありました。ここも例に漏れず山間に位置しています。シトー会修道院ができるとき、多くの場合その土地でかつて修道院や礼拝堂があった場所をそのまま活用するのですが、大抵1〜2度移転して、このような川が近くを流れる山間=谷に落ち着きます(ヒメロートは3回移動している)。

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門を入ると修道士がお出迎え。とはいえすでに修道院は解散しているので、ここには廃虚とちょっとしたレストラン、文化施設しかありません。

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内陣部のみが廃虚として残っています。この日は雨が強く、びしょ濡れになりながら写真を撮っていました。

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フランス革命で修道院が解散し、ここは民間に売却されます。修道院の建物の多くは取り壊され、石は別の建築物に転用されたそうです。

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いくつかは柱の土台部分が残っていました。

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このアングルで見ると、往時の教会堂の姿がおぼろげながら見えてくる気がします。

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祭壇の代わりにマリア像がひっそりと。

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カエサリウスのモニュメントもありました。

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雨が強くこれはかなわないと思い、建物に入って雨宿りをしました。そこはカフェのような雰囲気ではあるのですが、何かが違う。ご婦人達に話を聞いたら、そこでは毎週水曜日、訳ありのシングルマザーが子どもを連れて交流する場が提供されているのだそうです。

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地域の社会福祉活動の拠点として、寄付に頼りつつ細々と活動を続けているそうです。修道院跡でそうした活動を行うことにどのような意味があるのか?

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托鉢修道会と違いシトー会は徹底して都市を毛嫌いしたため、このように集落から離れた場所にぽつんと修道院が置かれます。そのため、シングルマザーは毎週水曜日だけは町を離れてここに集まるわけですね。町中の施設に集うのとはまた違った交流のあり方が、そこにはあるのかもしれません。

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などと勝手気ままに考えながら、トリーアまで2時間半かけて帰ったのでした。ドイツの8月はとても肌寒く、帰りの電車ではコーヒーに救われました。