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notatione digna?

岡山大学でドイツ地域を中心に西洋史(中世史)を研究している大貫俊夫のブログ。

西洋史演習におけるドイツ語テキストの水準について

西洋史演習について補足しておきます。前回、前々回のポストで授業の内容を大雑把に紹介して、来年受講する(受講するかどうか迷っている)方の参考資料を提示したわけですが、僕の中で喉に引っかかった小骨のような問題が一つあります。それは扱うドイツ語テキストの難易度。

岡山大学では全学部共通フォーマットで授業評価アンケートというのをやっていて、学生の皆さんに8つの項目について評点5〜1で回答してもらっています。教員はその結果を受け取って一喜一憂する(人もいればしない人もいる)のですが、その中で唯一「教材の選定・・・は適切であったと思うか」という項目だけ評点3が18.8%という数字をたたき出していました(残りは半分が5、半分が4)。学生側にとって一人一人評価基準が異なるので一概には言えませんが、おそらく評点の定義におおよそ従って、かつドイツ語テキストが難しいと実感した人は3を付けるのでしょう。

確かに、付けたくなる気持ちがよく分かるほど難しいドイツ語を読んできてもらいました。題材は「Gebhardtードイツ史ハンドブック」シリーズより、僕の指導教授が書いた巻。近年のドイツ人歴史研究者のドイツ語は平易になった、というのは大方共通理解が得られるのではないかと思うのですが、この75歳を過ぎた大御所のドイツ語は格式高く難解です。

ドイツ語をやったこともない学生がいる中で、なぜこれを選ぶのかにはそれなりに理由があります。例えば予習の際、担当箇所は一目見てよく分からない。しかし単語一つ一つ調べて日本語に置き換えたら意味が取れてしまった。そういう文章は、教員と一緒に読む意味も必要もないと思うのです。①文の構造を明確にし、②一語一語の意味を厳密に確定する。そういう作業を経てようやく意味が通る・・・が、③歴史的な背景を理解していないと結局理解がぼんやりしてしまう。これら①〜③のハードルがあるドイツ語と格闘してほしいなと思っています。そして学生の中に①②がクリアできる方が1〜2人いるのであれば、その教材は「適切」であると考えるのですが、いかがでしょうか。

これは受験勉強の弊害なのか、「完全に理解すること」を追い求め過ぎる学生の傾向があると思うのです。しかし、高校教育から一般教養を経て専門教育に至る過程で、すっきりした解答が与えられないことに慣れていってもらいたいなと。例えば就活でESを書きますが、これを書けば正解、というのは無く、書きながら悶々としますよね。専門教育には、そういう葛藤した状態に身を置いて耐性を付けるという目的があるのかもしれない。ドイツ語の水準も、そういうことを念頭に入れて選択しているのです。

授業ではなるべく詳しく、時には文全体を板書して構造などを解説しています。どうにも分からずすっきりしない場合は、いつでも聞きにきていただければと思います。

以上、長々と弁明を書かせていただきました(笑)