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notatione digna?

岡山大学でドイツ地域を中心に西洋史(中世史)を研究している大貫俊夫のブログ。

プファルツェル

先週末はトリーアから一駅のところにあるプファルツェル(Pfalzel)というところに行ってきました。実は当初はプリュム(Prüm)に行くつもりだったのですが,乗らなければならない電車に目の前で発車されてしまいました。脱力感に襲われ,DBに悪態をついた後,やむなく絞り出した案がこのプファルツェル。

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(本ブログで何度も登場するモーゼル川)

ここはトリーアからモーゼルに沿って北東に少し行ったところにあり,ザンクト・トーマス修道院のところで出てきたキール川とモーゼルワインの一大産地ルーヴァー川という二つの支流が流れ込んでいる地点です。そうした交通の要衝ゆえにローマ時代からすでに邸宅があったことが分かっていて,それにちなんでプファルツェル(小さな宮殿)と呼ばれています。

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(猫を追いかける娘。今はこぢんまりとした集落です。)

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初期中世には,ベネディクト会則を受容した女子修道院が設立されました(700年頃)。創設者はメロヴィング家でアウストラシア王ダゴベルト2世の娘とも言われるアドゥラ(Adula)で,自身修道院長として修道生活を率いていました。アドゥラのもとには聖ボニファティウスも訪れています

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1027年には女子修道院は放棄され,トリーア大司教ポッポーによって参事会教会になります。1140年頃には同大司教アルベロが教会を中心に城塞を作り,以後トリーア市とたびたび対立したトリーア大司教の軍事的・政治的拠点となり,1370年頃には(トリーアが間近にあるにも関わらず)ここで大司教による船舶の関税徴収が行われるようになりました。

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(1500年頃のプファルツェル)
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17世紀には二度に渡るフランス軍の侵攻によって城塞は炎上,破壊しつくされました。今はわずかに壁が修復されて残るのみ。それでも,モーゼルの流れを高台から眺めていると,往時の様子が想像されるのが不思議です。

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教会に面してあるホテル・レストランのKlosterschenke。トリーアに帰る前にワインでもと思って立ち寄ったのですが,実に雰囲気の良いお店でした。奥の方ではおそらく親族が集まって何かを祝っている人達が。暇を持て余した子ども達がテラスを駆け回り,心安らぐひとときでした。夏までに今度は食事をしに再訪したいものです。