notatione digna?

岡山大学でドイツ地域を中心に西洋史(中世史)を研究している大貫俊夫のブログ。

シトー会女子修道院ザンクト・トーマス

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5月末,Juni TestTicketというものが販売され,6月の1ヶ月間,トリーア市内・近郊のバスと電車が50ユーロで乗り放題になります。500枚余しか販売されなかったので買えて大変幸運でした。これを機に6月の週末は近郊の教会・修道院を見にいこうと考えていて,第一弾として昨日トリーアから電車で1時間ほどのところにあるザンクト・トーマス(St. Thomas)に行ってきました。自分の博論で扱っている土地を一つ一つ訪れることは至上の喜びです。

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ザンクト・トーマスは1170年頃にできたシトー会の女子修道院で,僕が研究しているヒメロートの修道院長の指導下にあったため,博論でも少し議論をして先行研究を批判しています。そもそもアイフェルの騎士が暗殺されたトマス・ベケットの墓地を参拝し,そこから聖遺物を持ち帰ったことで,この地にトマス信仰が起こります。ザンクト・トーマスは,そこに集まった人々が母体となってできた修道院ということになります。ただ,シトー会における女子修道院の位置づけは大変難しい問題をはらんでいるので,少なくとも12世紀の間は,この修道院がどういう形で成り立っていたのかを断定することは控えねばなりません(参考文献:フランツ・フェルテン著/甚野尚志編『中世ヨーロッパの教会と俗世』)。

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以前駒場の中期教育プログラム「イメージ研究の再構築」のファイナル・コロキアムで金沢さんがトマス・ベケットの埋葬された教会を紹介していて,巡礼者が跪いてできたくぼんだ石畳を写真で上げていましたが,僕はそれを見て,「わざわざ森深いアイフェルくんだりから来たのかな」と感慨深く思ったものでした。*1実際,この地を訪れてみると,キールの森(Kyllwald)が生い茂っていて,キール川(Kyll)に沿ってある次の集落までかなりの距離があります。

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修道院としてのザンクト・トーマスは,例に漏れずフランス革命後の世俗化の流れで1802年にその役割を終え,現在はトリーア司教区のセミナーハウスとして活用されています(St. Thomas Exerzitienhaus des Bistums Trier)。宿泊施設もあり,団体客には食事も出されます。

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この日は突然家族で訪問したのですが,この施設を除いて昼食をとれそうなところは無いのでした。そのためスタッフの女性に特別に食事を出してもらえないかとお願いしたところ,コックと相談して快くOKして下さりほっと一安心。スープ,鳥のグリル,デザートのコースで一人12ユーロ。他の団体客とは違う部屋にセッティングしてくれて,しかも子どもの分も気を利かせて出してくれたのには感激しました。

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なぜかクジャクが一羽だけ飼われていました。間近で初めて見ましたがこれは立派!

なお,中世のザンクト・トーマスについて最新の研究は(面識は無いですが)兄弟子ハルトマンの博論があります。

Ulrich Hartmann, Das Zisterzienserinnenkloster St. Thomas an der Kyll von den Anfängen in den 1170er Jahren bis zum ausgehenden 14. Jahrhundert, Mainz 2007 (目次

*1:注記:厳密には1220年にトマスの・ベケットの墓がカンタベリー大聖堂のクリプタからトリニティーチャペルに移っているので、アイフェルの騎士が訪れたのは実際はクリプタの方かと思われる。